ハリソン山田

役職
オンラインカジノ専門家
背景
父親は今でいうプライム上場企業のサラリーマン
普通の家庭に育ち特に不自由はなく育つ
父親の仕事が貿易関係であることから海外に行く機会が多かった
小・中学はカナダの現地校に通う
その期間に英語を学ぶ
TOEICは大学入学時870点
高校受験のため単独で帰国
偏差値75 全国トップ10に入る難関校に合格
高校から一人暮らしを始める
高校時代に麻雀・パチンコを覚える
パチンコ屋の新装開店に早朝から並び
夜は朝まで麻雀を毎日するような荒んだ生活をする
大学は某有名私立大学に入学
大学生活もほとんど高校時代と変わらず
新たに競馬や他のギャンブルも覚える
大学時代に通っていた雀荘が閉店するのを聞いて、その店をいぬきで借り麻雀店を始める
利益は出たが規模が小さく人に任せるのが難しかったため1年で辞める
大学卒業前にソフトウェア事業で起業する
趣味の延長で競馬の予想ソフトやPATの自動投票ソフトなどを開発、全国の家電量販店で販売する
(主たる事業は3DCGの制作やデータベース開発など)
30歳手前で主要取引先が倒産しその時受け取っていた手形が不渡りになり倒産廃業することになる
無一文になり路頭に迷う
大学時代の先輩の会社を住み込みで手伝いある態度の貯蓄をする
人生を振り返り賢い人と戦うのでなくバカと戦う方が楽だと考え次の事業に関して深く考える
その結果『風俗』を始めることする
その頃から真面目に「ふざけた仕事」をする方が1番利益的だと考えるようになる
グレーな人脈が増えさらにいろいろギャンブルを覚える
六本木のアングラカジノで初めてバカラをやる
そこで知り合った客に紹介されて韓国のカジノにも行くようになる
初めて行った韓国のカジノは今のパラダイスシティの前身のオリンポスカジノ
このカジノを知っている人はかなりのカジノ歴ですね
その後マカオが発展してマカオにも行くようになる
タイでガソリン車をLPG仕様にする事業を始める
その間タイで数年過ごしカンボジアとの国境にあるポイペトというカジノタウンに入り浸る
タイの事業は最終的にはタイ人に金も事業も奪われ終焉する
ギャンブルに喰われた人生を振り返り
ギャンブルに喰われるのではなく
ギャンブルで食ってやろうと考えるようになる
その後は様々な国のギャンブル業界に携わる仕事をやるようになる